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同潤会普通住宅 江戸川区松江

京葉道路を千葉方面に走っていると、荒川を越え、千葉街道が左に分かれていったその次の大きな交差点あたりで、「同潤会」という文字に出くわす。
「同潤会医院」、「同潤会バス停」、そして交差点を南北に横切る道は「同潤会通り」。
京葉道路をはさんで北側が江戸川区中央、南側が松江。

「同潤会」といえば、かつて下町で見られたモダンなアパートだ。
上野下とか三ノ輪とかにあったけれど、もうみんななくなってしまった。
その同潤会がこの辺りにもあるのか、それはどこだ?と、以前から気になっていた。

調べてみると、この辺りに同潤会の「アパート」はなかった。
あったのは、同潤会の「普通住宅」だったそうだ。
そんなものがあったのか。

いくつかのブログがヒットした。
「普通住宅」が現存しているとのことで、写真も掲載されていた。
件の交差点のすぐわきにある、何度か前を通った建物がそれだった。

写真を撮っておこうと、あらためて松江に行ってきた。

P7170902.jpg

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P7170916.jpg

P7170925.jpg

周辺には、かたちは違えど同じような古い建物がいくつかみられる。
でもたしかに、この建物は趣がすこし違う気がする。

P7170953.jpg

このテイストの集合住宅で2階建てというのも、今どき珍しいのかも。

P7170930.jpg

P7170935.jpg

P7170942.jpg

参考文献を紹介させていただきます。
「まちなみ図譜・文献逍遙 『建築寫眞類聚 木造小住宅』」
(東京大学大学院准教授 大月敏雄氏)

~以下、抜粋~

同潤会の設立は関東大震災が起きて8カ月後の大正13(1924)年5月。
東京横浜の都心に多数建設された公設バラックに住む人々の次なる住宅を建設するという目的であった。
都心にいつまでも多数のバラックがあると復興の妨げになるという考えから、彼らの受け皿をつくろうというのであった。
したがって当然、木造普通住宅は復興事業のさまたげにならない都市部郊外に、そして都心型のアパートメント事業は帝都復興事業と連動しながら建設されたのである。
木造普通住宅の建設は、同潤会にとって最初の年度である大正13(1924)年度から始まり、ほとんどが同年度中に建設された。
これに対してアパートメント事業の方は(略)大正15(1926)年の春に、第一号である「青山アパート」「中の郷アパート」の竣工を見た(略)。
木造普通住宅3,700戸余り、アパートメント2,500戸余りが建設された。
この数からもわかるように、同潤会にとって木造普通住宅は決してアパートメントに劣らない重要な位置を占めていた。
~抜粋おわり(一部短縮しています)~

同潤会普通住宅は、松江(江戸川区東小松川)のほかにも以下の場所にあったとのこと。
▼東京
赤羽(王子区稲付町)
十條(王子区上十條町)
西荻窪(杉並区井荻)
荏原(荏原区中延町)
大井(品川区大井金子町)
砂町(城東区北砂町)
尾久(荒川区尾久町)
▼横浜
新山下町(中区新山下町)
瀧頭(磯子区瀧頭町)
大岡(中区大岡町)
井土ヶ谷(中区井土ヶ谷町)

2016/7/17 江戸川区松江2丁目

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